哲学研究所 第1回:モラルは存在するのか



1. そもそも、モラルって・・・

私が、今まで生きて来た人生の中で一番怒られたのは母親の財布から一日、一万円ずつ盗み、近所のBOOK OFFで遊戯王カードやゲームソフトを買い漁って豪遊しながら、auの自動決済システムを利用してパズドラに重課金をしていたことがバレた中学校3年生のことでした。

皆さんは、いつでしょうか。是非Twitterにて教えていただきたい。

さて、今回のテーマですが、「モラルは存在するのか?」という倫理哲学をベースにした何を仰っているのかさっぱり分からない議題となっております。賢い君は、もしこの世に“モラル”が存在しないのならモラルという言葉自体存在しないし、そもそも我々はどうしてそれを認識することができているのか、くだらないと、思っているでしょうが果たしてそれは正しいのでしょうか?

先にネタバレをしますね。哲学界ではモラルコード(モラルのルールブック)は存在することができないとされています(議論の余地はありますが)。つまりモラルは存在しないということです。今回の記事では一般的(私目線)に“何故モラルは存在しないのか”と言われているのかその根拠をまとめていきます。

まず、モラルを素因数分解しましょう。もし、“モラルが存在する”ならば、1.全人類または生物に共通するモラルなるものがある、若しくは2.地域や文化によって異なるモラルが存在する、のどちらかとなりますね。1. を道徳的絶対主義(Moral Absolutism)と言い、2. を道徳的相対主義(Moral Relativism)と言います。つまりこのどちらかが正しければ(反証されなければ)モラルは存在するということです。

2. 道徳絶対主義(Moral Absolutism)

道徳的絶対主義者の主張:モラルには絶対的な基準が存在するため何が正しくて何が間違っているのかの問いに対して、明確な答えがある、に対し反駁することはとても簡単ですね。それは、もし基準があるとするならば科学(真偽を検証する世界が為)と同様に実証可能且つ反証可能でないといけません。ですが、今の段階ではモラルの基準は人の思考から編み出されるもの、ということから実証可能ではありません。歴史を見れば、その時代の人々の頭にあったモラルの一般的な形は現代のものとは異なっています。要するに、思考から生み出されている以上、変化を必然としすなわち実証が不可能だということです。

3. 道徳相対主義(Moral Relativism)

こちらは、モラルは存在するが地域や社会、文化によってモラルそのものが異なるという主張です。さぁ、何も間違っていないように思えるでしょう。人々の権利が重視されフェミニストやセクシャルマイノリティーを認めようとしているのが世の中の風潮ですから、何かを許容することは審議なしで正しいと思ってしまってはいないでしょうか(この話はまた今度しましょう)。ここで問題です。ナチスドイツの他国への侵略、ホロコースト(ユダヤ人の虐殺)や、マリ共和国での女子割礼、中国での纏足は何も間違っていなかったのでしょうか?もし全ての文化にモラルそのものがあるのなら、全ての文化は間違っていないことになります。ではナチスに抗議をした家族を虐殺されたユダヤ人が間違っているのでしょうか? etc. 。しかし、ヨーロッパ(の文化)ではナチスドイツの歴史は人類の過ちとして紹介されています。矛盾。道徳的相対論は破綻していないでしょうか。更に、もし全ての文化が正しいのならなぜこれ以上変え割る必要があるのでしょうか?なぜゲイカップルの結婚を認める必要があるのでしょうか?許容をしているように見えて許容ができていないのがこの説の最大の特徴のように私は思います。

4. まとめ

以上、1.道徳的絶対主義と2.道徳的相対主義がどちらとも正しくないと言えることから、モラルは存在しないということが言えます。

もし、タイムワープが可能ならば今すぐ中学校3年生の僕に会いに行って、モラルがなっていないと叱ってきた母に対抗する術を与える為にこの事を教育しに行きたいです。

ありがとうございました。

松尾 慶一朗
松尾 慶一朗

専門分野:哲学
イギリス King’s College Londonにて哲学を専攻。
紫洲書院のメディア開発を担当する。

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