オープンな科学を目指して


Preface

前回の記事では科学の本質が科学への関心や信頼を低下させかねないということを書いた。今回は現代科学の構造に焦点を当て、科学がどのように変わっていく必要があるのかを考えていきたい。

本記事は一連の記事の後編です。前編:データ人間を待ち受ける「科学」の罠

3. 科学の「あるべき姿」

科学のあるべき姿として、正確性を求めるものであることはわかっていただけたであろう。ここでは少し科学の本質から外れ、科学者の間で共有されているステレオタイプとしての科学の「あるべき姿」を見てみたい。

2013年、自然人類学の常識を覆す発見がされた。ホモ・ナレディ(Homo naledi)として発表された新種のヒト族の化石が、南アフリカ共和国の洞窟内でかなりの数と良好な保存状態で見つかったのだ。化石から比較的初期に現れたホモ属(Homo sp.)と考えられるにも関わらず、年代測定の結果、我々の直接の祖先(Homo sapiens)が現れ始めていたとされる時代のものであることがわかったのだ。果たして我々の直接の祖先が生きていた時代にネアンデルタール人やデニソワ人とはまた別のヒト族がいたというのだろうか。さらに化石は研究者が苦労するほどの狭い洞窟の先で、ほぼそのままの状態(荒らされたり、水に流されたりした痕跡のない状態)で見つかっているの。このことから葬式に似た何かしらの儀式を持っていたという見方が強いが、未発達の脳を持つホモ・ナレディがそのような文化を持っていたのだろうか。数多くの謎に包まれたこの発見は、自然人類学の世界に一大センセーションを巻き起こした。

それと同時に注目を集めたのが、この化石をめぐる斬新な研究の進め方であった。この発見は人類史上最大とはいかずとも、自然人類学では最大級の発見といって間違いないだろう。これほどの大きな発見であれば、通常ScienceやNatureといった権威ある学術誌において発表されるのが普通である。しかしこの論文は、あえてそのような学術誌ではなく、オープンアクセスジャーナル(インターネットさえあれば誰でも無料で全ての内容を閲覧できる学術誌)に発表された。つまり、大学や研究機関に所属しない人々もこの論文にアクセスすることができるような形で公表されたのだ(もちろん、この記事を読んでいる読者の皆さんも閲覧することができる)。しかし、研究チームによる発表はそれだけにとどまらなかった。論文の発表があってからまもなく、発見された化石の3Dデータがまたもオンライン上(もちろん無料アクセス)で公開されたのだ。このような第一級の史料へのアクセスは、深く研究が行われるまで制限されるのが通例である。例えば2009年に発表され、やはり自然人類学に大きな影響を与えたラミダス猿人は、1992年には発見されていたにも関わらず、17年間も公にはされてこなかった*。このことからも、ホモ・ナレディの化石のデータ公開がどれほど異例なことかが見てとれる。このように科学の世界では、貴重な発見が一般人に対して開示されにくい構造が伝統的に組み上げられてきた。このような構造は、本来は丁寧に事実を明らかにしていくアカデミズムの気質そのものであるが、その一方で多くの人々から科学との接点を奪い、結果として科学への関心の低下を招いていると言えるかもしれない。

naledi
公開されたホモ・ナレディの化石の一部(出典:eLIFE)

なお情報の開示性の問題については一般人に限られたことではなく、科学者の間でも問題がある。例えば先ほどのラミダス猿人の化石の例では、一般人はもちろん、研究チームに参加していない他の研究者たちも、公式の発表があるまではデータにアクセスすることができなかった。その他にも、より経験を積んだ研究者が優先的に化石をアクセスすることができるという暗黙の了解も存在する。これらの点に関して、ホモ・ナレディの研究では従来の研究の常識が完全に覆されたと言える。まず調査団の団長であるLee Rogers Berger氏は研究者たちの間のネットワークではなく、SNSを通じて幅広く調査団員を募った。そのため40人近くにものぼる大規模な研究グループには、多くの若手の研究者が登用された。またこのメソッドは、男性優位の風潮が少なからず残っているフィールドサイエンスの業界に、多くの女性研究者を取り込む事も実現した。結果的に多様なバックグラウンドを持った研究者が多く集まったことで、通常長い時間を必要とするデータの解析が素早くなされたり、新たなアイディアが提案されたりと、数々のメリットが報告されている。このようにホモ・ナレディの発見は、これまでの自然人類学における様々な学説だけでなく、従来の科学のあり方そのものに一石を投じる重要な転機ともなった。

科学のあり方を変えようとしている研究の例は、自然人類学の分野以外にも見られる。その一つとしてあげられるのが、今年4月に発表されたブラックホールの画像にまつわるものだ。この研究成果はメディアにも大きく取り上げられ、世界中がその姿に驚いた。このようなスケールの大きな研究には、スケールの大きな研究グループが不可欠であることは容易に想像できるだろう。研究がどのように進められたのか詳しい内容はここでは触れないが(詳しく知りたい方はKatie Bouman氏のTED Talkを参考にしていただきたい)、この研究には天文学や物理学に限らず、世界中から集まった多くの異なる分野における専門家が携わったことで成し遂げられたのだ。近代以降の科学は細かなカテゴリーに分割され、それぞれの研究者が各自の専門に精通することで、その領域を押し広げてきた。しかし大規模の研究プロジェクトにおいては、このやり方は通用しない。むしろ分野を超えた協力が不可欠であることが証明されたのだと言えるだろう。

国際プロジェクトであるイベント・ホライゾン・テレスコープにより初めて撮影されたブラックホールの写真(出典:ヨーロッパ南天文台

言うまでもないことだが、これらすべての新しい科学の「あるべき姿」がすべて良いとは言いきれない。もちろん私自身が新たな世代の科学者の卵として、新しい考え方に対して特に積極的であることは認めなければならない。これまでの科学のあり方の方が良いとする人たちもたくさんおり、先述の研究方法に対しての批判があったことも事実である。例えばその理由の一つとしてあげられるのが、自らの研究や試料を公開することによって、他の競争相手の研究者に有利な情報を与えてしまうことになりかねないという事だ。またピア・レビュー(同じ分野の識者による研究報告の審査)を交えて、慎重に重ねていくことも、科学の信頼性・妥当性を担保する上で欠かせない要素であることも事実である。しかし科学者は、それらのプロセスによって一般の人たちが科学に興味を持つことを阻んだり、科学の進展を大きく妨げたりしかねないことを理解しなければならない。特に情報が溢れている現代であるからこそ、多くの人たちの意見を取り入れることも大切なのではないだろうか。

*ラミダス猿人(Ardipithecus ramidus)の化石は硬い石灰質の岩石から見つかっており、化石を取り出すのに時間がかかったと言われている。しかし復元の期間を除いたとしてもかなりの期間秘密にされてきたことには間違いないだろう。

4. アクセシビリティの悪さ

ここまですべての項目を総じて言えることは、現在の科学は非常にアクセシビリティが悪いということだ。これは科学が一般に対して情報を開示しないというだけでなく、その内容も一般の人々に理解し難くなっているということに起因していると言えるだろう。このように世間一般の考え方を無視しつつ、科学が全てであるとして科学的根拠や事実を押し付ける考え方を科学主義(Scientism)という。科学主義の流れの中には、本来科学が扱うことのできない経験を超えた世界(厳密には形而上学の世界)に踏み込み、宗教や哲学を脅かそうとしているものもある。このままでは科学がより多くの人たちに受け入れがたいものになってしまう。このような実態を見直し、科学的解釈の全てをよしとするのではなく、一般の人たちが触れることのできる機会を増やし親しみやすくすることが大事なのではなかろうか。

これを実現するには、科学者以外の人々に科学を広める人が必要となる。宗教には教える者(祭司)、その道を極めた者(宗教家や熱心な信徒)、習う者(信徒)、と広める者(宣教師)が存在する。一方の科学には教える者(先生や教授)、その道を極めた者(科学者)、習う者(一般の科学に興味のある人たち)がいるものの、それを広めるも者の役割は軽視されてきた。学術メディアや科学誌があるではないかという方がいるかもしれないが、それらは多くの場合、最新の研究を伝えるためのものであり、そのような研究が持つ科学の面白さを広めるためのものではない。また多くの場合はこれらの情報にはそれなりの値段がつくため、アカデミアの外にいる人々には必ずしもアクセシビリティが良いとも言えない。これからの時代に求められているのは、可能な限り多くの人に科学の面白さや奥深さを伝えるサイエンスコミュニケーターである。この新しい分野をいかに切り開いていくかが、科学への信頼を保ち続けられるかどうかを左右することになるだろう。

科学が抱える問題、そしてそれを乗り越えていくための方法について、お分かりいただけたであろうか。私自身も紫洲書院ではより多くの人に科学の面白さ・奥深さをわかりやすく伝えていきたいと思う。

▶︎参考文献
  • “How Finding This Human Ancestor Is Making Us Rethink Our Origins”
君付 龍祐
君付 龍祐

専門分野:古生物学・サイエンスコミュニケーション
カナダ、アルバータ大学の生物進化・環境・生態学科を経て、同大学の古生物学科に在籍。高校時代から古生物学の研究を行う。

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