カピバラを軸に、世界の警察を語る。後編:宗教警察・極東型警察


Preface

さて、最終編になって読者の皆様が一体なぜカピバラについて論じているのかを忘れかけた頃、いよいよ「日本の警察が脱走したカピバラを追いかけるのはなぜなのか」という本題に入ろうと思う。 かくいう私も、説明上カピバラはもはや必要ないのではないかと思いはじめつつあるが、ここは初志貫徹を目指そうと思う。

日本では、犯罪学や犯罪科学という学問自体がアカデミックな分野としてほとんど存在しないと言ってもよいだろう。あったとしても法学や心理学、化学、政治学などの延長として扱われることが多い。そうした意味で、比較警察学は西洋の学問である。ゆえに必然的にそのスコープは西洋に関わりのある国々の警察でほとんど完結する。すなわち英米、ヨーロッパ、およびその旧植民地と共産ブロックが関の山である。しかし近年、近現代に新たに台頭した勢力を含めた比較を行う動きが出てきた。それらとはすなわち、戦後の発展著しいアジアとアラブ諸国の警察である。これらの国々の警察に関する学問的な把握はいまだ発展途上であるが、最終回の今回はこれらのカテゴリーを紹介しよう。

1. 宗教警察:「勧善懲悪」の代行者

モスクにて、賭博を行った者を鞭打ちに処する宗教者(引用:アルジャジーラ

比較警察学の中で、宗教警察は異端の存在とされている。しかし、イスラームの警察権力を理解するにおいて、いわゆる「宗教警察」というトピックは比較警察学以外においても重要性を高めていると言えるだろう。近代以降、世界的に宗教の影響が弱まる中で、イスラム教徒の数は順調に増え続けており、2030年には信徒数22億人に達するとされている。科学による「脱魔術化」の流れの中で、イスラーム諸国は「逆魔術化」と呼ばれる流れを経験しているとさえも言われる。ではそのような「逆魔術化」の具現化ともいうべき警察とは何者なのか?

2012年のピュー研究所の報告によると、世界の196ヶ国の9%にあたる17ヶ国が何らかの形の宗教警察組織を運用しているとされている (Theodorou, 2012)。イスラム教を背景に持つアラブ諸国だけではなく、仏教の文化を持つアジア太平洋諸国にまで広く分布しているのが印象的である。ここではその代表としてサウジアラビアのイスラム宗教警察について紹介しよう。

宗教的な警察組織を運営する主要な国々(引用:ピュー研究所)

宗教警察がイレギュラーである理由の一つとして、警察の三要素のうちの一つである「警察権力の独占」が必ずしも満たされていないことが挙げられる。例えばサウジアラビアの警察機構は、いわゆる世俗警察と宗教警察の二つに分かれているのだ。世俗警察は歴史的なコンテクストから植民警察に近い性格を帯びており*1、大部分は国内多数派のスンニ派*2から採用され、集権体制のもとで運営されている。国内少数派シーア派に対して強権的であると言われていることも、概ねその性質から納得できるであろう。

その一方で、いわゆる宗教警察は世俗警察と独立して機能する国家機関である。「ムタワ」と呼ばれる宗教警察の正式名称は「勧善懲悪委員会 (Committee for the Promotion of Virtue and the Prevention of Vice)」。こう言っては失礼だが、日本語に訳した途端に、なんだかディストピアSF小説にでも出てきそうな趣の名前になってしまう。勧善懲悪委員会の権限は、コーランやハディースなどの聖典に記された「イスラム法」と呼ばれる宗教法規の解釈に基づいている。それらの宗教法規を、宗教指導者に代わって取り締まるというイメージが正しいだろうか。その活動の根拠は聖典の文字通りの実行もさることながら解釈によるところも多く、必ずしも明文に基づいているわけではないため、具体的な職務は実に多岐にわたる。例えば女性の服装、男性との交友、運転*などの取り締まりなどが有名なところであろう。その他にも、同性愛、売春、薬物乱用などの取り締まりや、食習慣やメディアの検閲など、世俗警察や高等警察の職務も部分的に担っている。またイスラームの祈りの時間に閉店していない商店を処罰したり、バレンタインなどの異教の祭典を取り締まったりなど、その活動は草の根レベルに浸透していると言える。かつてあのバービー人形も「西洋諸国の堕落の象徴」であり、「道徳に対する脅威」であるとして取締りを受けたほどの徹底ぶりだ。これらの活動は、基本的人権の権利を保護する観点から、西洋世界からの批判を受けることも多い。このように、世俗の法規にとらわれず、イスラーム的な生活文化を推奨し、著しい逸脱を取り締まるのが宗教警察という機関の任務であると言える。

そのような宗教警察であるが、近代化が進むにつれてその権力は徐々に弱まっているとも言われている。かつての宗教警察は、しばしばその刑罰の暴力性が西洋諸国の批判に晒されていた。例えば、イスラーム法に著しく違反したり、宗教警察の警察官を侮辱したりした者に対して、以前は頻繁に公開の鞭打ち刑が課されていた。そのような場合、世俗法による執行と並列して、例えば「懲役1ヶ月と鞭打ち50回」などという風な処罰が一般的であった(例:Reuters, 2014)。しかし、そのような厳しい執行には、近年になって多くの制限が設けられるようになっている。現在では上述のような公開での鞭打ちは禁止され、宗教警察の警察官による即決裁判の権限は剥奪された。2016年に裁可された新しい法律では、「穏便かつ人道的に勧善懲悪を執行する」という文言が活動綱領に追加されたほか、現行犯逮捕や職務質問などのさらに基本的な権限も剥奪される結果となった。現在これらは世俗警察のみに認められ権限であり、宗教的違反の「現行犯」の現場において宗教警察に残された手段は事実上警告と通報のみとなっている。さらには2018年から施行された新法では女性による車の運転が認められることとなり、複雑な現状があるものの現在まで維持されている。近年の大きな流れとして、宗教警察による取り締まりの厳格さは緩和されつつあるようだ。とはいえ、法的拘束力がなくなっただけで、イスラム法は今後もインフォーマルな治安維持の手段として大きな影響力を維持するであろうことは確実である。

以上の理由から宗教警察が脱走カピバラを捕獲することはまずないだろう。イスラームでは明示的に不浄として忌み嫌われる動物が少ないのも好都合だ。むしろ世俗警察や保健所などのその他の機関を警戒すべきであろう。

宗教警察の三要素:
 ・正統性:宗教的な訓則の解釈
 ・構造 :世俗警察とは独立しており、中央集権。ボランティア警官も。
 ・機能 :宗教的(イスラム的)モラルの実行の監視、礼拝への参加や男女間の伝統など多岐にわたる

*1: サウジアラビアは植民地化された歴史を持たないが、内紛の結果としてサウード家の少数エリートが実権を握ったため、結果として植民警察のような集権・強権構造に収束したとされる
*2: 厳密にはスンニ派の中でも厳格な性格を持つ「ワッハーブ派」と呼ばれる宗派

2. 極東型警察:理解不能、もしかして理想型?

新設された一般的な交番の様子。(引用:市民タイムスWEB

さて、最後に本シリーズの本題である極東型の警察を紹介しよう。まれに南北朝鮮の警察が含まれる場合もあるが、「極東型」が主に指すのは日本の警察である。場合によっては日本型とされることもある。このような特殊な分類は、何を意味しているのだろうか?

近代日本の警察に関する文献は、江戸時代の時代から始まることが多い。江戸時代においては、封建制にもとづいて人の移動が制限されていたため、主に各藩の士族階級による犯罪の取り締まりと、地元の有力者である庄屋のもとに組織された「五人組」と呼ばれる草の根の連帯責任システムによって治安が維持されていた。しかし、近代化を受けて、四民平等の名の下に身分制が撤廃され、人の移動が自由になると、新たな警察制度が必要となる。また当時の「西洋に追いつけ追い越せ」の流れの中では、殖産興業・富国強兵を成し遂げることは国の存立に関わる急務でもあり、そのためには様々な外圧や内憂に耐えることができる強力な警察機構が必要であった。そのため、日本の警察システムが中央集権型の大陸ヨーロッパ諸国から輸入されることとなったのは自然な選択であったと言えるだろう。日本警察の父と呼ばれる川路利良は、欧州視察の際に見聞を広めたフランスのシステムをもとに警視庁を設立したほか、刑法などもフランスに倣って刷新された。またベルリン警視庁からも警察顧問が招聘され、そのアドバイスにより駐在所・交番制度が確立、1912年までに13,353の駐在所と2,473の交番が設置された (Ames, 1981, 23)。中央集権と偏在を兼ね備えたヨーロッパ型警察の成立である。

当初の日本警察では現在は存在しない「内務省」と呼ばれる政府機関の影響が強く、犯罪の抑止や治安維持などの日常的なタスクに加えて、大陸ヨーロッパ型の警察と同じく体制の維持に関わる任務も帯びていた。例えば、工場の倉敷や水島などの工場地帯において、盗難や強盗などを取り締まるかたわらで労働問題をに対処したり、大戦中には書物の検閲や思想犯の取り締まりなどを行なったりしていたことが挙げられる。戦後、アメリカGHQは日本における警察権力の弱体化をはかり、内務省とのつながりを一掃して都道府県警と公安委員会のみで構成される分権型の警察に作り変えた。しかし1954年代に新警察法が可決されると、政府の決定を地方警察に反映するための組織として警察庁が新たに設立され、その試みは不完全に終わった。このような歴史的背景を経たためか、日本の警察には集権構造と分権構造のそれぞれの特徴が混じって存在している。例えば、一般的なお巡りさんが地方公務員であるのに対し、県警・府警・道警のトップは警察庁から派遣された国家公務員であるのというのはその影響と言えるだろう。日本の警察に関して、構造的に最も大きな特徴とされるのは、そのような中央集権と偏在の両立である。そして最も特徴的なのが、次に述べるコミュニティーでの警察官の役割であろう。

日本にいた際にはほとんど気に留めなかったが、特に「駐在所: “Chuzaisho”」というシステムは、警察研究において多くの注目を集めている。そしてそれは日本、特に田舎の派出所独特の機能によるらしい。そもそも一般的に「交番」が都市部に作られるのに対して、「派出所」は田舎に設置されるものとして定義されている。都市部ではほとんど見られないので実感がない人も多いかもしれないが、田舎の派出所では住居がすぐそばにあり、泊まり込みの状態で勤務する警官が多い。そしてその特徴から、警官が地域のコミュニティーと深い関わりを持つ場合が多いのだ。例えば、ある文献にて以下のような興味深い報告を発見したので紹介しよう:

『日本の田舎では、警察署の裏手に家族と暮らす“Chuzai-san”と呼ばれる警察官がいる。駐在さんの奥さんも彼の仕事に深く関わり、その二人ともが地域に馴染み、人々の信頼を得ることが求められている。彼らには伝統的にある種の名誉を与えられているため、事故やトラブルに加え、家族や個人の問題に関する様々な相談事を持ちかけられる。(中略) “komarigoto sodan”を引き受けることも職務の一部である』(Mawby, 1999, pp. 114-115)

普段何気なく使っている言葉が専門用語としてローマ字で表記されているのはなかなか新鮮である。話を戻すと、この報告に書かれているように警察官がインフォーマルなレベルでも地域のコミュニティーの一員となることは、確かに特殊であると言えるだろう。一見すると英米型の警察が果たすコミュニティー・ポリスの役割や行政機能(administrative service)に近いようにも思えるが、“Chuzai-san” と “community officers” の間には大きな違いがあるようにも思う。英米の警察がコミュニティー・オフィサーを雇っても、彼らはあくまで「警察と市民」という構図のもとで活動することを期待されるのに対し、駐在さんの場合には「地域の中にたまたま警察官の人もいる」といった感じとでも言おうか、警察官のアイデンティティーがより地域住民に統合されているということなのだろう。言い換えれば、住民の中でたまたま法的効力をもって確かに問題を解決できる人、という認識である。このような認識があるため、「うちの畑にどこかから脱走してきたカピバラがいるんだけど・・・」といった「困りごと相談」の案件は必然的に派出所、ひいては警察官の家庭に持ち込まれることになる。これこそが本記事シリーズの核心を突く要素であると言えるだろう。

このことを比較警察学の理論として述べ直すと、日本の警察ではフォーマルな治安維持・犯罪の抑制と並んで、インフォーマルな「ソーシャルサービス」が任務の一つとされている、ということになる。交番・駐在所システムに関しては学術論文も多く出されており、コミュニティー・ポリス型の理想と集権化による組織の合理化を両立する手段として注目されている。イギリスを中心に、コミュニティー・ポリスの進化版としてこのシステムをパクることができるのではないか、と画策されているらしい。これが極東型警察の特徴であり、他のモデルから区別される所以である。

しかしこれらはあくまで西洋の学者の解釈も入っているため、文献には少し怪しいのではないかと思う情報や不可解な見解も混ざっている。まず、日本の警察は他のモデルと違い、インフォーマルな「空気」を整えることによって治安の維持を行なっている・・・らしい。また、先ほどの駐在さんの例にも見られるような、地域の住民とインフォーマルなレベルで良好な関係を築くことは目的ではなく、その「空気」を整えるために必要な手段とする文献もある。確かに日本では気兼ねなく夜道を歩くことができるが、そのような治安の良さや雰囲気というものを全て警察の活動の成果とするのは正しくないように思える。また必ずと言っていいほど力説されるのが「本音と建前」などの文化や儒教、仏教、果ては道教の影響である。確かにコミュニティー・ポリスの役割も、極めれば徳治政治のような感じになりそうであるが、これも日本に暮らしている人にとってもあまりピントくる話ではないと思う。極め付けに、これらの文献には、あらゆる警察官が派出所に泊まり込みで駐在しており、すべからくコミュニティーのご意見番であるべきかのような記述をするものも少なくない。現代日本において、特に都市部では派出所に寝泊りする警官の方がむしろ珍しいのではないだろうか。日本の警察を非日本語話者が深く研究することが難しいのは確かにその通りなのだろうが、どうも理解不能な部分を想像で補っているような雰囲気を感じる。日本の犯罪率の低さがその幻想に拍車をかけているであろうことも想像に難くない。これらの要素を総合して考えると、極東型の警察モデルとは、理想型としての幻想をまとった理解不能のモデルとしてまとめることもできるだろう。

極東型警察の三要素
 ・正統性:中央集権による中央省庁の政策反映
 ・構造 :上に反して、地方でも警察のプレゼンスを保つ
 ・機能 :ソーシャルサービスに重点

3. 結論「なぜ脱走カピバラは追われたのか?」

比較警察学の観点から述べると、日本の警察のソーシャルサービス重視の性格による影響が大きいだろう。日本で脱走カピバラが逃げおおせるには、その地域の「困りごと」にならないように気をつけなければならない。かといって都市部に出れば保健所などが飛んでくるのは必至である。脱走カピバラにとって日本はもっとも過酷な環境の一つであると言えるだろう。

さて、一度説明してしまえば結論は短いものである。一時の思いつきでカピバラを持ち出したことにより、毎回カピバラに結びつけるに辟易してきたところで、これにてようやく本記事シリーズが完結した。次回は遺伝と犯罪に関係するシリーズに戻り、進化と犯罪の関係について書く予定である。これからは心を入れ替えて少し真面目な記事を書いていこうと思う。ただし、明日の昼ごろにはすでに全く違うことを言っているかもしれないので悪しからず。

▶︎参考文献
  • Ames, W. L. (1981). Police and community in Japan. Univ of California Press.
  • BBC. (2016, April 13). Saudi Arabia reins in religious police. BBC News. https://www.bbc.com/news/world-middle-east-36034807
  • Boer, M. (2018). Comparative policing from a legal perspective (pp. 76-79). Cheltenham: Edward Elgar Publishing.
  • Mawby, R. I. (2013). Policing across the World: Issues for the Twenty-first Century. Routledge.
  • Reuters. (2014, August 18). サウジ裁判所、宗教警察への侮辱で女性にむち打ち刑. Reuters. https://jp.reuters.com/article/saudi-arabia-moral-police-idJPKBN0GI0QH20140818
  • Theodorou, A. (2014). Religious police found in one-in-ten countries worldwide. Pew Research Center. https://www.pewresearch.org/fact-tank/2014/03/19/religious-police-found-in-nearly-one-in-ten-countries-worldwide/
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