神を信じてはいけないのか?

第二回 哲学研究所:神を信じてはいけないのか?



1. 神について議論しよう

お久しぶりです。松尾です。

今回のテーマは『神を信じてはいけないのか?』です。

宗教というと、オウム真理教の麻原彰晃をはじめとするカルト的な集団が頭に思い浮かび、何か怖い、禍々しい、関わりたくない、と思う人が大半でしょう。よく教育されているあなたの場合は、キリスト教の免罪符や十字軍、イスラム教のジハードなど、教科書の中では負の歴史のように扱われているものが多く、あまり関わりたくないトピックのように感じるかもしれません。

ただ、私たちの母国、日本の歴史もそもそも神話から始まっています。また年始には初詣に行ったり、受験などの大事なシーズンにはお守りなどを身につけたり、見えない“何か”に対して祈りを捧げたり、いろいろな場面で文字通り神頼みをするわけで、日本人と宗教との間には切ってもきれない縁があるのです。

最初、この記事を執筆しようと思ったときに『神は存在するのか?』というテーマで進めていました。結論から言ってしまえば、哲学の世界では「神は存在しない」と広く認められています。しかし、だからと言って記事の結論も“神は存在しない“としてしまうのではあまり面白くない。そのため、その記事の完成も間際になってやはり何か違和感を覚えたのでそれを全て消去し、あえて『神を信じてはいけないのか?』というテーマに変更しました。

若干20歳ながら、私は哲学という学問を日本人に知ってもらいたいと思っています。主に中学生や高校生にターゲットを絞ってこの記事を書いているものですから、無責任に神はいないとの結論だけ放っておくのはいけないなとも感じるのです。もし、過去の自分がこの『神は存在するのか?』という記事を読み、“神は存在しない”との結論を知ったならば、おそらく有神論者(神を信じている人)の所に訪れて、付け焼き刃の知識で攻撃してしまうとも思ったからです(「なんで存在しないもんなんか信じてんだよー」って)。

私は、この記事を読んでくれる人が、友人とその内容を話題にして議論することによって不幸にならないようにしたいのです。

さて、長い前置きはさておき、本題に入ります(笑)

今回の記事では:

1.なぜ「神は存在しない」とされているか、という問いに対する簡単でシンプルな解説
2.なぜ神を信じている方がお得なのか

この2つのポイントについて、哲学者の意見をまじえながら解説します。

2. 神がいないことの証明

私は神を見たことがない、よって神は存在しない、と片付けることはできるのでしょうか?見えるものが真実で、見えないものは間違っているのでしょうか?それでは心は?人の心は見えないのですから、人を傷つけても構わない、という理屈がまかり通ってしまいます。それでは、人間は社会的動物ではなく、ほかの動物と同じになってしまいますよね(前回の記事ではモラルなど存在しないと結論付けましたが笑)。

今回は「宇宙論的」観点と呼ばれるスタンスから、なぜ神が存在しないと言えるのかを説明していきます(有料版Noteには詳しい解説や関連する話題などを書き記しています)。

世の中で起こっている事象(ものごと)には全て因果関係があると思います。例えば、あなたは今、コーヒーを飲んでいるとしましょう。「コーヒーを飲んでいる」事象を“果“(結果)だとすると「喉が乾いた」とか「次の授業で寝ないようにしたい」というのが”因“(理由)となりますよね。ではなぜあなたが「喉が乾いた」状態なのか、あるいは「次の授業で寝ないようにしたい」のか、“因”であるこれらをさかのぼっていくと、そこにはまた“因“(理由)があるはずです。そうやって世の中の事象と事象の間には鎖のように繋がった因果が連鎖しているはずです。

では、この因果の鎖をどんどん辿っていった果てはどこになるのか
宇宙論者はそれを”神”だと答えます。

ですが、最新の科学によるとその因果関係の始まりは、ビッグバンのはずです。
根拠もなしに”神”が因果関係の始まりだと主張する者と、根拠にもとづいて”ビッグバン”が因果関係の始まりだと主張する者と、どちらがより信頼があるでしょうか?

よって神は存在しないと言えるというのは、神がいないことの証明の一つになります。

3. それでも神を信じるべきか?

では、証明されない存在を我々は信じてはいけないのでしょうか?

私、個人的にはそんなことはないと思います。上記に記した通り、私たちは初詣やおみくじに行くことを楽しんでいますし、心が弱い者は宗教に頼ることで、救われることだってあります。

それだけでは無く、哲学者のパスカル(『パスカルの定理』を作った人)は論理的になぜ神を信じるべきなのかを説明しています(下図)。これをパスカルの賭けと言います 

この図は、神が存在する場合と神が存在しない場合、神を信じている人と信じていない人が存在する世界で、「誰が一番お得なのかを」という問題に対して場合分けをして考えようというものです。

もし神を信じていて、神が存在しない場合何も起こりません。神を信じていない場合も同様です。ですが、もし神が存在して神を信じていなかった場合、キリスト教の教えでは死後に永遠の苦しみを味わうことになります。ですが神を信じていた場合永遠の快楽を得ることができる、という説明です。合計の期待値を考えると、神を信じていた方が何れにせよトクをするという理屈ですね。

今回の記事では、なぜ神は存在しないと言われているのか、についての説明と、「パスカルの賭け」を紹介しました。今の時代、論理的に考えることが重要視されていますが、それは論理的であれば人を攻撃していいということではありません。飲茶さんの著書「哲学的な何か、あと科学とか」には、論理がいかに不完全かという記事が掲載してあります(下にリンク有り)。興味があればぜひ読んでみてください。あとTwitter(@Kei_shidzu)のフォローお願いします(笑)。 

あ、あと有料Note配信しているのでぜひ買って下さい!!!!!それではまた次回お会いしましょう!

過去記事:哲学研究所第一回:モラルは存在するのか?

この記事は「哲学研究所」シリーズの一部です。今後の記事をお届けするためにも、右側のサイドバーおよびページ最下部のアイコンからSNSをフォローしてくだされば幸いです

▶︎参考文献
松尾 慶一朗
松尾 慶一朗

専門分野:哲学
イギリス King’s College Londonにて哲学を専攻。
紫洲書院のメディア開発を担当する。

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