第2講 連続 / 立体的なつながり – 結城夏嶺・錯覚の哲学
つながりは、歴史に裏打ちされてはじめて成立する。そしてその歴史は、どこまでも曖昧でなければならない。記憶の倫理と共同体の哲学を一新する「錯覚」のはたらきとは?気鋭の思想家・結城夏嶺による人気連載『錯覚の哲学』第3講。
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つながりは、歴史に裏打ちされてはじめて成立する。そしてその歴史は、どこまでも曖昧でなければならない。記憶の倫理と共同体の哲学を一新する「錯覚」のはたらきとは?気鋭の思想家・結城夏嶺による人気連載『錯覚の哲学』第3講。
私たちは、日常の中の何気ない動作でさえ、共同体の期待を背負いながらこなしている。その「共同体の視線」は、束縛と同時に「居場所」を与えるものではないか。そのメカニズムは、「言葉を操る」ことと「言葉に操られる」ことの分かちがたい関係に隠されている。気鋭の思想家・結城夏嶺による新連載。
私たちはいつ、どのようにして「居場所:ホーム」を感じるのか?この問いに答えを与えるのが、「ノスタルジー」「死」「贈与」そして「虚構」だ。気鋭の思想家・結城夏嶺が、共同体と居場所の謎を解き明かす。『さあ、錯覚の哲学をはじめよう。』
私が、今まで生きて来た人生の中で一番怒られたのは母親の財布から一日、一万円ずつ盗み、近所のBOOK OFFで遊戯王カードやゲームソフトを買い漁って豪遊しながら、auの自動決済システムを利用してパズドラに重課金をしていたことがバレた中学校3年生のことでした。