ダンディズムの美学とは? 〜英国貴族の憂い〜

著者:竹本智志

著者:竹本智志

紅茶・紳士・残念な食事など、さまざまなイメージを帯びるイギリス。近代のクライマックス産業革命に至るまでのイギリス史を、贅沢と階級をテーマにお話しします。

皆さんこんばんは
あなたの教養をプラスする Shidzu Plus
お届けするのは紫洲書院の竹本です
今回のオープニングは “Wann kommt der Tag”
作曲は Franz Neukum
1942年のレコードからです
このShidzu Plus は今回4回目で
前回の3回目ではイギリスの歴史を
贅沢と階級と二つのキーワードで
語るということをしたんですけども
その中で産業革命の中で
貴族が没落していくという過程がありました
確かにブルジョアが主導して
社会は民主主義・自由主義
この方向に舵を切っていく
そして貴族はこれをひっくり返す力を
もはや持っていない訳なんですけども
彼らがやられっぱなしであったかというと
実はそうではないんですね
むしろこの時代こそ、追い詰められた貴族が
「貴族とはなんたるか」ということを考えて
最も貴族らしい生き方を追求した
そういう時代でもあったわけですね
つまりこの一矢報いるというか
散り際の美学というものが
あまりにも美しかったものですから
それを真似した庶民の中で
紳士というものが生まれていく
そして「紳士の国イギリス」という
イメージが定着していく訳ですね
ということで今回は
そのイメージの根底にある
ダンディズムの美学について
お話ししていきたいと思います

1. 疎外される貴族

我々が例えば英和辞典なんかを引くと
紳士=ジェントルマンっていう風に
一対一で載っていることが多いんですけども
紳士というものの中には
実は三つカテゴリーがあるんですね
一つ目がダンディ
そしてジェントルマン
最後にスノッブ
そしてこの三つは、頂点にダンディ
それを追随するジェントルマン
そして最下層にスノッブという
ヒエラルキーがそこに存在するんですね
なぜかと言うと
単純にファッションリーダーみたいな人たちを
下の人が劣化コピーするということが
大量に行われたからなんですけど
イメージ的には
スティーブジョブズみたいな超カリスマがダンディー
それをなろうとしている若手起業家みたいな人たち
これがジェントルマン
これは実際に資本家・企業家が多かった
それになりたいんだけれどなれない
だけどスタイルはとりあえず同じにしときたい
意識高い系みたいな人たちがスノッブ
こういう風にイメージしてもらうと
分かりやすいんじゃないかなと思います
その劣化コピーの大元をたどっていくと
ダンディーと呼ばれる一部の貴族に行きつく
このダンディと呼ばれる貴族の集団が
現れたのは大体18世紀の後半ぐらい
この時代は産業革命が始まって完成に近づいていく
その時期とまったく重なる
ですからこの歴史的コンテクストから
ちょっとお話ししていきたい思います
前回の動画を概要等に貼っておくので
見ていない方は
ぜひ見ていただきたいと思うんですが
産業革命という一大イベントが
イギリスで起こっていく
産業革命というイベントは
工場ができました、産業が起こりました
これ自体が問題なのではなくて
実はその素地にあった
スーパーインフレという現象が元になって
引き起こしいる
このインフレによって
貴族の収入が下がっていきます
そして工場経営者の収入が上がっていきます
それで経済的な実権を
市民階級・平民階級の人がどんどん付けていく
これが貴族にとっては脅威なんですね
それでもはや経済的な実力をつけた市民は
やろうと思えば貴族と同等のライフスタイルを
追求することができるようになってくる
経済的な実権をまずブルジョアたちが握っていく
これと並行して18世紀最後の10年間
1789年~1799年まで年から
この期間において
お隣のフランスで革命が起こります
つまり経済だけではなくて政治の分野においても
貴族や王が締め出されて
民主主義・自由主義の方向に舵が切られている
これはイギリス貴族にとって非常にショッキングな内容だった
それまでの貴族っていうのは
自分の領地に引っ込んでいれば
勝手に税金が自分のところに上がってきたし
自分の趣味とか遊びとしての政治をやりつつ
ギャンブルやって酒飲んで
もし戦争が起こったら
いち早く戦争戦場に駆けつけて武勲をあげる
そういうことで何とか許されていた
その地位を疑う人はいなかった
しかしながら18世紀の最後の10~20年
それから19世紀の初めを見ると
経済的実権はもうブルジョアに侵食されているし
お隣のフランスを見ると
政治の分野までひっくり返されていると
まさに「ぴえん🥺」といった状況なんですよ
このままでは貴族っていうカテゴリーの存在価値
自分たちの立場とかひいては命まで
やがては危うくなるんじゃないか
このことは彼らが一番よく理解していたのだと思います
つまりこの時代において
イギリスの貴族というもの
貴族という階級に属する人達は
アイデンティティの危機に直撃するわけですね
じゃあ貴族が誇れる何かを持っているかというと
ほとんど残っていなかったんですね
経済的実権はもう剥奪されてるに等しいし
議会にはブルジョアが登ってきている
もう文化しかないんですね
いわゆるソフトパワーというものが唯一残されていた
つまり階級意識とか
階級が何百年も存続してきたという
歴史に裏付けられたエチケット・作法
それと貴族の美学ですね
貴族趣味的な美学を理解できるという資質
これしか残されていなかった
しかしながらこれは考えようによっては
非常にパワフルな武器になるんですね

ここの一つポイントなのが
美学っていうのは階級ごとに
違ったもの持っていたということ
この庶民の美学と貴族の美学は
大元が全然違うんですよ
ここにフリップに出したんですけど
シックと呼ばれる庶民の美学は
フランス原産なんですね
都会的な垢抜けた
「パリジャンの美学」みたいなことを
想像してもらえればいいかと思います
これに対してエレガンスっていうのは
完全な貴族趣味です
イギリスでは貴族が支配していた歴史が長い
しかもその貴族の地位(称号)を有する人が極端に少ない
貴族が強い時代が長く続いたので
イギリスではエレガンスの美学というものが
非常に発達していた状況にあった
この違いは例えば
江戸っ子の「粋」という美学と
朝廷の「雅」という美学
この二つの対立になぞらえて
考えれば分かりやすい
江戸っ子が平安貴族の美学を理解しようと思っても
それは無理なわけなんですよ
「べらんめい、一昨日きやがれ」とか言ってる
江戸っ子を宮廷に放り込んでも
何を喋っているのかそもそも分からない
何が行われてるのか理解できない
そういう状況が生まれるというのは
想像に難くない
だからソフトパワー、文化的な資質っていうものは
一見カネにもならないし
何にもならないような気がするんだけども
実は最も重要なもので
ブルジョアがいくら金を積んでも
手に入らないものなんですね
さっき言及したように
産業革命の中で追い詰められた
アイデンティティの危機に立たされていた
貴族という人たち
彼らにはこのエレガンスという
彼らに残された唯一の武器を追求して
この美学を追求していくこと以外に道はなかった
そして文字通り命をかけてこのエレガンス
貴族的な美学を洗練していこう
こういう生き方こそがダンディズムです

2. お洒落のためのお洒落

じゃあこの美学を追求する生き方をしようとなった時に
自分のアイデンティティ自分の存在と
密接につながっている
美学的活動は何かと言うと
これは自分の服を整える、ファッション
お洒落をするという活動ですね
ここにダンディ達も目をつけた
しかしながらダンディズムというのは
単なるお洒落ではないんですね
究極の行き過ぎたエレガンスを追求するお洒落
これは何でもそうだと思うけども
何かを純粋に純粋に追求していくと
それそのものが目的
となってしまっていう点が必ず存在する
例えば「学問のための学問」
それ自体に価値があるような学問
あるいは「芸術のための芸術」
これと全く同じように
ダンディズムのお洒落というものは
お洒落のためのお洒落
これどういうことかというと
おしゃれ、服装を整えるということは
見てもらう人がそこにいるわけですよね
人前に出て自分の体裁を保つとか
ソーシャルステータスを示すような
そういった行為だったはずなんですよ
そこには必ず見せる相手がいる
しかしお洒落のためのお洒落というものは
相手のためのおしゃれではない
自分の格好、それそのもののためのお洒落

この考え方に関しては
ダンディ自身が意見を述べています
オスカー・ワイルド
ダンディーとして名が通った人物です
彼は二つの重要な名言を残しています
一つ目はフリップに出しました
『ダンデは芸術家ではない。彼ら自身が芸術品である。』
これは有名な名言だと思うんですけど
これを理解するにはもう一つの
名言を引き合いに出す必要があります
どういうものかと言うと
『人生の目的は自己実現である。…
…それは自己の本性を実現することである。』
こうも言っているんですね
他にも色々あるんですけども
こういうものをたどっていくと
こういう考えをすることができます
ダンディにとってのお洒落は本質的な活動であって
自己の本性を実現しようとする活動
これは人生の目的そのものだといっているんですね
かつ芸術品という文句表されているように
彼ら自身がそれを体現している
これはつまり芸術品である自らがその美学を体現している
その美学を体現する方法として
お洒落をするわけなんですけども
お洒落をする、上流的な装いをするということ
そういう行為は彼らの本性を現し実現する手段である
人生の目的だと言っている
ダンディにとってアッパー・クラスのファッションを
身につけているということは
義務や職業といっても良い
あるいは究極的にナルシシズムの域に入っているので
宗教といってもいいかもしれません
だからダンディーというものは単なる
ファッションリーダーではない
もはや宗教や芸術の域まで高められた
お洒落というものを体現する
四六時中その美学を演じ続けなければいけない
そういう修行僧のような生き方

3. 沈みゆく夕日の美学

なぜダンディはそんな修行僧のような
生き方を選んだのか
その裏にはちゃんとロジックがある
これはもう時代がそうさせたから
としか言いようがないような
ある意味での悲劇かもしれないが
そのロジックの要点を
今回は三つにまとめてみました
1つ目がブルジョワに対する差別
2つ目は一つにまとめちゃってもいいと思うけど
ブルジョワを含む方々に対する差別意識
差別化意識とか軽蔑とも言える感情
そして最後に退廃主義・デカダンスこの三つが
この3つがキーワードです

じゃあまず1つ目からいきましょう
これブルジョワへの差別ということなんですが
これは産業革命の構図の中でも
明らかですよね
貴族というものは
ブルジョアに対して差別意識を持っている
根底的にはまず脅威としての認識があって
その上で例えば
貴族のライフスタイルを
ブルジョワが真似すること
これに対する反感を持ったりとか
あるいはこれを軽蔑する
これが貴族を突き動かす原動力になってる
これは決して個人に対する恨みとか
そういうものでなくて
階級全体に対する反感と言うか
こういった人が上に登ってくることが
できるようになってきた
社会の流れや時代の流れ
あるいは彼らが主導していくであろう
来るべき自由主義・民主主義に対する反感というか
時代の潮流そのものに対する嘆き
これらがある階級に対する軽蔑になって
現れてきていた
こういった負の感情
悲しみ・嘆き・怒りこれをサンチマンと言いますけども
このルサンチマンが貴族の原動力になっていた
これがまず一点

2つ目いきましょう
この2つ目も差別意識とか軽蔑に関するもの
あえて1点目と分けました
なぜかと言うと
この時代の流れの説明はだいたい
ブルジョアと貴族の対立で終わってしまう
事はそう単純ではない
貴族というものは一枚岩ではなかったので
貴族の中でも軽蔑の対象となる人たちがいた
どういう人だしかというと
貴族が没落していく中で
これにどうにかして抗おうとした人々
具体的には自分の田舎の領地に引きこもって
例えばビジネスを初めてみたりとか
まいろいろなことをやって
経済的な余裕を取り戻そうとするような
ダンディズムの生き方を否定して
エレガンスを追求しないような人たち
貴族は特権階級だったということもあって
階級に対する所属意識を強く持っていたので
こういう貴族性を追求しない奴らは
貴族ですらないという
そういう強い思いがあったんですね
これに関して面白いエピソードがあって
やっぱり典型的な弱小貴族は田舎の貴族
田舎の領地に引きこもる
そういう傾向があったので
ダンディたちの間では
田舎に行ったことがないというのが
自慢のタネになったんですね
イギリスにはバターカップっていう
日本でいうところのタンポポみたいな
本当に田舎に行くと
そこら中に生えているような花がある
これを見たことがないっていうことが
自慢のタネになるんですね
「いや俺この20年タンポポ見てないし。ずっとロンドンにいたし。」
それが自慢のタネになるっていう風潮があった
そのくらいですから
こうして見ていくと
ダンディーとして生きる
ダンディズムを追求するっていうことは
総人口の圧倒的多数の中から
特権的な階級を持つ集団というものを
抽出していくというプロセス
労働者・ブルジョワという一般大衆がいて
その中からまず貴族を抽出する
この貴族の中から
貴族性を追求する
ダンディという人たちの集団を抽出する
しかしここで終わらない
さっきオスカー・ワイルドの名言も引用しましたが
ダンディーというのは自己実現の方法である
自己の本性を追求していくものなので
最終的なフォーカスというのは
必ず一個人にあたる
その個人が自分の本性のために
美学を追求する
これはナルシシズムというものですから
この先にダンディを抽出して
ダンディーの中でも他ならぬ自分が最も美しい
そういう状態を
運命的に目指さざるを得ない
そういう生き方である
こういう風に何重にも張り巡らされた差別意識
大衆・ブルジョワ・貴族・ダンディ
そして他ならぬ自分
こうして階層的に
「自分」を「その他大勢」から抽出していく作業
そういう意識がダンディズムの美学の根底にあります
ちょっとこれは補足と言うかオマケ情報ですけど
ファッション史を研究してる人が書いた
文章を見ると
時々ダンディーというのは
彼らが好んで身に付けていた服が
現在の背広とかタキシードに近いので
「近代的な自由で平等なファッションを社会に持ち込んだ」
という風に紹介されていることが時々ある
これは間違いです
ダンディーのお洒落の美学
お洒落の哲学というのは
徹底した差別意識にあるわけです
ですからこのその他大勢から
自分を抽出する作業もそうなんですけれども
徹底的な不平等主義というものが
ダンディの哲学と相通ずるところなんですね
だからお洒落は差別化のツールとして使われた
この差別化のツールの中には
服装だけではなくて
作法やユーモアのセンスなども含まれていました
その中の重要な要素として
これは何と言うか
立ち居振る舞い・態度の問題なんですけど
一つの教えというかモットーがありました
これをニル・アドミラリの美学という
何事があっても動じない
表情ひとつ変えずに
冷静に行動できるのがクールだよね
そういう風潮が出てくる
貴族のニル・アドミラリの徹底ぶりが
もう素晴らしかったから
ブルジョワはそれを
なんとか真似しようとするんですけども
文化的資質にケタ違いな開きがあるので
簡単には真似できない
なんとかそれでも真似しようと思って
ひらめくんですね
ヒゲを使って表情を隠せばいいと
そういう風な理由で
口髭がもてはやされた時代っていうのが
産業革命の前後にでてきます
これは完全におまけ情報ですけど

そして最後に三つ目
退廃主義・デカダンスということが
このダンディズムの美学の重要な一角を占める要素
この退廃主義は
直感的にわかりにくいんだけども
どういうことかというと
後先考えないってこと
例えばですね
この左側のフリップに写ってるこの男性は
チェスターフィールド伯爵という人で
日本人も皆さんもよく着ている
チェスターコートを発明した人なんです
当時一般的な貴族だった
チェスターフィールド伯爵は
1年の服飾費として
440ポンドを使っていた
440ポンドというと
どのくらいの価値かというと
この時代の労働者1人当たりの年収が20ポンド
例えばこれを400万円と仮定すると
1年で服だけに8800万円
使ってるような感覚ですね
貴族としてはまあこのくらいはできるんです
経済的にこのぐらいだったらまぁ
毎年出していけるかなっていう金額
しかしこれとは比較にならないんですよね
ダンディたちの出費っていうのは
例えばジョージ・ブランメル
彼はダンディの中のダンディなんですけども
彼が社交界デビューから
全盛期までに使った金額
15,000ポンド
年間に直すと(少なくとも)700ポンドぐらい使ってる
一億円超ですか
そのくらい毎年使ってる、服だけに
お洒落なファッションのためだけに
1億円超使っているという
そのくらいのことをやってる訳です
貴族の中でも桁外れなんですね
で実はこのブランメルという人は
それほど有力で収入が盤石な貴族ではない
だからブランメルが年間1億円超を
服に毎年使ってことは
事実上できなかったんですね
しかしながら彼はこれをやってのける
さっき文字通り命をかけて
エレガンスを追求という表現をしたけど
まさにこの点にかかっていて
借金をしてくるんですね
方々から莫大な金を借金してきて
それを全部ファッションにつぎ込む
そういうことをやっていた
だから最後は借金まみれになって逃亡して
惨めな最期を迎えることになるんですけど
例えば自分の老後の生活とか
自分の次の代っていうもの
そういった将来性を度外視して
今、他ならぬ自分が1番
誰よりも輝いてるっていう事を追求する
究極のナルシシズム
こうした自分の破滅を前提とした滅びの美学
これがダンディズムの性格の大きな一面ですね

4. まとめ

ということでいかがでしたでしょうか
今回はダンディズムのロジックについて
お話ししてきたんですけど
やっぱり日本ではどうしても
このゲッツの人ね
あとはちょっとイケてるちょい悪オヤジを
ダンディーと呼び習わす習慣が着いちゃってますけど
ダンディズムっていう生き方が
単なるお洒落ではないってことを
ちょっとでも理解していただけたんじゃないかなと思います
このダンディズムっていう社会現象は
時代に追い詰められた貴族階級の
集団ヒステリーとして捉えることもできるんですけど
まあ何と言うかかっこいいからねぇー
ぐうの音も出ないよねー
っていう個人的な感想何ですけど(笑)
お洒落っていうポジティブなところが始まって
それをやり過ぎて一旦ナンセンスになって
ネガティブになって
命をかけてそれを追求することによって
一周回ってより崇高なポジティブなものになるっていう
このサイクルは面白いですね
だからこの絶賛黒歴史製造中の
私の動画の活動も
命をかけてやればいつか
崇高なものになってるかもしれない
まあそんなことはどうでもいいんですよ
ちょっと今回はね
まだちょっとあるんですけど
今回は撮影時間の都合上ここまで
ダンディーというのは
基本的にイカレポンチの集団なので
個人のエピソードを見ているとね
これはもう何と言うか
なんて言うんですかね
いわゆる「マジ卍」なんですよ
ですから次回の Shidzu Plus では
先ほどのフリップにもあったと思うけど
当時のヨーロッパ全体をも牛耳ったと言われている
ダンディの中のダンディ
ボー・ブランメルという人物の
エピソードについてお話ししようと思います
それでは皆さん、またお会いしましょう

  • 川北稔(1993)「洒落者たちのイギリス史」

  • 山田勝(1994)「イギリス貴族」
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この記事の投稿者情報

竹本 智志

竹本 智志

専門分野:犯罪科学・近代思想・歴史
ロンドン大学UCL卒(BSc, 保安・犯罪科学)
紫洲書院の出版部を担当し、運営実務を行う。

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