動物裁判 〜中世ヨーロッパ世界の「狂気」〜

著者:竹本智志

著者:竹本智志

中世ヨーロッパでは教会の名の下に司法が動物たちをさばく「動物裁判」が行われていました。そのロジックを紹介します。

*本記事はYouTubeチャンネル “Shidzu Plus” に投稿された動画の字幕スクリプトです。以下の埋め込みリンクからご覧ください。

目次
  1. 裁かれた動物たち
  2. 合世界的」な動物裁判
  3.  まとめ
    参考文献

皆さんこんばんは

あなたの教養をプラスする「紫洲プラス」

お届けするのは、紫洲書院のタケモトです

今回のオープニングの曲は”Ball im Zoo”

作曲はWigi. Gabrielで、1937年のレコードからです

この曲はベルリンにあるベルリン動物園、これはドイツ初の大動物園ということなのですが、このベルリン動物園をテーマにした曲だということです。

うちも昔は動物をたくさん飼っていまして

猫9匹、犬1匹がいたので

もう家の中が動物園みたいな状態になってたんですけども

まあ動物って手がすごいかかるんですよね

今は猫2匹、犬1匹になって

少なくなってきたんですけれども

それでも手がかかる

たとえばうちには1匹仔猫がいるので

その子猫がテーブルからグラスを落として割ってみたりとか

最近はその子猫がビーフジャーキーを床に引きずり出して

それを犬が食べるっていう組織的な犯行に手を染めたりもしてます

けれども一般的な感覚からいってそういうことをしても

「動物がやったことからしょうがないよね」という感じになると思う

しかしながら歴史をたどっていくと

そうではなかった時代があった

そうではなかったというのは

つまり罪を犯した動物を

人間と同じように司法が裁くということがあった

これを「動物裁判」といいます

今回はこの動物裁判とその背後にひそむロジックについて

お話ししていきたいと思います

それでは行きましょう

1. 裁かれた動物たち

フランスの動物裁判:ブタの例

フランス、ラヴィニーで行われたブタの裁判。このような裁判は今日でいう刑事裁判に近い形で行われ、いわばカトリック教会が主体となり、被告をその世界から排除するかどうかを問うた。(CC)

この今回のテーマである

この動物裁判なんですけども

主に中世ヨーロッパで行われていたことで

特にフランスドイツといった

いわゆる大陸ヨーロッパと呼ばれる国々で

ポピュラーだった習慣なんですね

動物裁判というのはどういうシステムだったのかというと

大罪・重罪を犯した動物を司法が裁く

この「重罪」は3つのカテゴリーに分けられます

1つ目のカテゴリーが人を殺した動物

2つ目のカテゴリーが獣姦の共犯

この獣姦と言うのはつまり人間と動物のセックスで

人間の方が主犯になる

そしてこの共犯としての動物が2つ目

3つ目が魔術の道具とか

使い魔の疑いをかけられたような動物

この三つを「重罪」と定義して

このような動物を司法が裁くというもの

この動物裁判の面白い点は

動物を裁くときに

人間と全く同じようなプロセスを踏むっていうこと

ちょっとフリップを見て頂きたいんですが

これは全くない人間が使うそのままの法廷

裁判所ですね

それで真ん中にいるのが

被告人・容疑者のブタで

その奥に見えるのが、裁判官と弁護士

右側で指差してるのが被害島・原告側ですね

こういう風に全く人間と同じようなプロセスに則って

人間と同じ法律に基づいて動物を裁く

さらに処罰の方法まで全く人間と同じように

例えば処刑した

そういった点が非常にユニークだと言えます

今フリップに映し出されてるこの挿絵自体は

後世に書かれた挿絵なんですけども

この元ネタとなった事件があります

これちょっと具体例として

一つご紹介しますね

1457年フランスの裁判です

このブタは、ある日赤ん坊を食い殺したという

ショッキングな内容で起訴されました

これは考えられないようにも思えるんだけども

当時のブタっていうのはイノシシからの品種改良のまだ途中なんです

だからもう半分イノシシで牙とか生えてて

すごい凶暴な奴らなんですよ

だから赤ん坊を一人で置いておいたら

まあこういうことも起こり得た

そういうふうに考えられますね

起訴された被告人はこの真ん中に写ってる親ブタと

その犯行を見ていながら止めなかった小ブタ数匹

このブタのグループが起訴されている

判決としては実行犯である親ブタが有罪として処刑

つるし首にされたんですね

その反面、その目撃者であった子ブタは

責任能力がないとして無罪になりました

最終的にこの死刑になって吊るし首になったブタなんですけれども

面白いことに、単にその屠殺するみたいな殺し方じゃなくて

人間の服を着せられて

そのまま処刑台に引きずら引きずっていかれて殺された

この点はちょっと後で解説しようと思います

このほかにもイナゴ、ロバ、サル、クマなどの動物が裁かれた。被告人が複数(多数)の場合、その代表として数匹が捕らえられて「出廷」。動物たちは一流の弁護士による弁護を受けた。

動物裁判で具体的にどういう動物たちが裁かれたのか

フリップにちょっといくつか例を挙げてみます

一番多かったのはブタ、それからウシやウマ

そういった家畜として人間が日常的に接している動物たち

一番人間と接してる時間が長いぶん

人間に危害を加えたりとかそういうリスクや可能性が高まる

だから家畜としての動物が一番よく例として出てきます

次にモグラですね

モグラは直接人間をどうこうするわけじゃないんだけれども

畑の植物の根っこ食ってしまう

だからその畑の作物が育たなくて

飢饉の時とかすごい困るわけですよ

そういう意味で重動物の一つとして数えられる

右上のゾウムシはいわゆる害虫ですね

畑の葉っぱとかを食べちゃうやつです

それこそおびただしい数畑にいるはずなんですけど

こういう虫も裁判の対象になりました

右下は誰極端な例としてのせておいたんですけども氷河です

無生物の氷のあれです。崖にへばりついてやつ

イタリアの一番北の方ってすごく急峻な山がある

あそこの氷河が裁かれたという事例が残っています

その氷河がの罪状は、「畑に流れ込んだ」

判決は有罪、その罰として

カトリック教会からの追放 +「呪いの言葉を言われる」

「おぉ・・・」って感じなんですけども

でもきっちりと本当に真面目に裁判をやって

真面目に教会の人が処罰にいって

ちゃんと呪いの言葉を言ったという記録が残っているそうです

この動物裁判っていうクレイジーな習慣なんですけども

わりとざらに行われていたようなんです

というのは当時の中世の資料の中で

実際にその現場を目撃した

あるいは関与していた人たちに多いタイプの文字媒体は「日記」

歴史的な政変とか革命があったら

公文書にはならないかもしれないけど

でも誰か知的階級の文字が読み書きできる人たちが

プライベートな日記に必ず書き残してるんですね

中世っていう時代には文字を書ける人も少なかったですから

そういったプライベートな資料が一次資料として重宝される

そういった時代なんですよ

でも動物裁判っていうのはそんなに日記に残ってないから

すごいビッグイベントではなかった

けれどもその傍らで裁判記録はしれっと残ってる

つまりどういうことかというと

わりと一般的に行われていた

皆が、「まあそれは動物裁判はするよね」って

そういう雰囲気があったっていうことを示している

これは非常に面白い点だと思います

もう一つ面白い点は

割と最近まで行われていたってことなんですね

その典型的な動物裁判の例として

割と最近の実例として挙げられるが

1750年メスのロバが獣姦の共犯として起訴された

人間の方は死刑になったんだけども

このメスのロバは態度が良かったという理由で

模範囚として無罪放免になってるんだね

それはそれとして面白いんだけど

1750年っていう時代がわりと新しいんです

どのぐらい新しいかと言うと

1769年、裁判の19年後ですね

「ワット式蒸気機関」

つまりレールの上を走れる状態の蒸気機関が出てきている

蒸気機関車ですね、それとか

その蒸気機関車の上に大砲乗せた戦車みたいなやつが

フランスでできてたりしてます

そのさらに7年後

「タートル潜水艇」という潜水艦の原型になったような

試作品でも出てきた

近代技術の典型みたいな蒸気機関とか潜水艦みたいなものが

出始めていたちょっと前まで

こういった動物裁判というのは行われていたんです

とはいえ科学革命がきて、産業革命がきて

第一次大戦くらいまでには綺麗さっぱり姿を消してしまった

なぜこれが下火になっていったのか

これを解き明かすキーワードが「世界観」です

2. 「合世界的」な動物裁判

中世初期において、農民をはじめとする人口のほとんどは異教徒であり、キリスト教は都市エリートの文化であった。動物裁判は教会によるパフォーマンスとしての側面も持っていた。(CC)

動物裁判と言うイベントを巡って

重要になってくる世界から三つあります

まず一つ目、キリスト教以前の世界観です

僕らが中世ヨーロッパって言った時に想像するのは

だいたいキリスト教がすごく幅をきかせてるような社会

教会がすごいパワーを持っているみたいな

そういうイメージだと思うんですけれども

実際は中世初期はそうでもなかった

キリスト教はエリート・王侯貴族のような人たちから

流行っていった宗教なので

森の中に住んでいた大多数の百姓みたいな人

そこらへんの平民はほぼキリスト教徒ではなかった

じゃあそういった農民みたいな人達っていうのは

どういう宗教観を持っていたのかというと

キリスト教がはやる以前の宗教

つまりギリシャに端を発してローマで成長した「ローマ神話」

あるいはローマ神話の地元カスタムバージョンです

ローマ神話ベースの宗教は基本的には多神教だから

例えば森の木々一本一本とか、泉とか、大きな岩とか

そういった自然物の背後には

必ずその守り神とか妖精みたいなものがいて

その自然を利用するとき

例えば家を作るために木を切りますとか

飲み水を確保するために泉から水を汲んできますとか

そうして何か自然からもらうためには

必ずそのお返しをしなければいけない

そういった考えが支配的だった

このローマ神話の考え方は

日本昔ばなしのバチが当たるの感覚に近い

何かもらったら必ず返さなければいけない

この返すの忘れたら罰があたるよ

基本的にはそういう考え方が主流

人間のパワーと自然のパワーは

基本的に拮抗してるんですね

その均衡を崩さないために

ギブアンドテイクの契約みたいな感覚が生まれてくる

だから人間の感覚としては

「逆らわず、流されない」

こういった考え方がメインになっています

そこから中世の中盤

大体12世紀とか13世紀に入ってくると

色々あってキリスト教が頑張っちゃうんですね

キリスト教っていうのはローマ神話と違って一神教です

旧約聖書を見てみると

神様がまず地球を作って地形を色々作って

植物作って、動物作って、人間を作って

その人間に「動植物を管理しといてね」、と

そういうふうなことを言うわけですね

だから人間、キリスト教徒にとってみれば

その動植物を支配して管理する宗教的な義務がある

でも実際にあたりを見渡してみると

そこには鬱蒼と生い茂る森があるわけで

その中には当然野生動物がたくさん住んでいる

ここにギャップが出てくるわけですね

宗教的に見ると、キリスト教徒の視点から見るとね

自然の管理者であって支配者なんだから

人間の支配が及ばない自然の力なんていうものは

あってはならないはずなんだけども

でも実際にはそうではない

すなわち人間の秩序の中に収まりきらないような野生の動植物とか

あるいはさっき言った氷河みたいな無生物もそうですね

こういったものが悪魔まではいかないんだけれども

「これはどちらかと言うと悪だよね」、と

こういう雰囲気が醸造されてくる

しかしながらすべててのモノやヒトを

キリスト教の秩序のもとに置きたいカトリック教会としては

そういうものを野放しにしておくわけにもいかない

ここで二つのリクアイアメントが生じてくる

まず一つ目が

それまで支配的であったローマギリシャ神話に変わって

キリスト教が正統性を得ること

なおかつそれに基づいて悪魔である動物を裁くということ

この二つがリクワイアメントとしてでてくる

じゃあこれを行うためには何をすればいいか

カトリック教会の考えはこうです

まず第一に

「全てのヒト・動植物・自然物というものは
もともとカトリック教会の管轄下にありますよ」

ということを宣言します

つまり一度、それまで有象無象にあったやつらを手元に寄せて

それをカトリック(人間)の法で裁くことによって

秩序から外れているようなものを有罪にする

そしてあえて一回寄せておいたものを突き返すこと

「お前追放・破門な」って言って突き返すことによって

この二つのリクワイアメントを達成すると

これが動物裁判の真髄なんですね

さっきのフリップで紹介したブタの裁判で

有罪になって処刑台に引きずられていく親ブタが

人間の服を着せられていたこと

これはまさにこの点を反映してるわけですね

人間の服を着てるっていう事は

手の届かない動物っていうものを人間の側に寄せておいて

それを裁判して処刑することによって

カトリックの権威を保ちつつ

悪魔としての動物を裁くと

二つのリクワイアメントと達成してるわけですね

こんど中世から近世に差しかかってくると

また色々なことが起こるわけです

カトリックかプロテスタントが分離したと思いきや

科学革命が出てきちゃって

地動説がポピュラーになり

進化論なんていうものが出てきちゃって

「動物って実は悪魔じゃなくない?」っていう意見が出てくる

「教会の権威はそろそろお話にならなくなってきたよね」
っていう雰囲気が出てきて

そういった流れの中で動物裁判が下火になっていくわけです

そういう意味で

1. キリスト教以前の世界観
2. キリスト教の世界観
3. キリスト教以後の科学ベースの世界観

この三つの世界観の移り変わりにリンクして

動物裁判と一見クレイジーなイベントが発生して

そして消えていく、こういう説明がつくわけです

 

こういう風に、動物裁判っていうイベントは

一応ロジカルに行われていた

少なくとも当時の人から見ればロジカルに行われていた

こういう変遷をたどって考えられる事っていうのは非常に沢山あって

まず一つは人間の自然観の変化ですね

つまり中世以前の人々の頭の中では

人間のパワーと自然のパワーが拮抗している

中世に入って12・13世紀になってくると

今回はあんまり言及しなかったんですけど

キリスト教が中心になっても大開墾運動を押し進める

そこにあった自然に果敢に挑戦して開墾していく

こういう運動が非常に大規模に

ヨーロッパ全土で行われていた時代

自然に挑戦はするんだけれども

それでも技術が完全ではないから

完全に自然を支配しきることができない

こういうタイミングで動物裁判が入ってくるんですね

それが近世(近代)に入って

今度は産業革命で機械がたくさん出てきました

テクノロジーが進化することによって

人間がほぼ完全に支配できる領域っていうものが

どんどん増えていくわけですね

こういった中で、例えば動物に限った話でいうと

動物愛護運動とかが出てくる

そういう意味では動物愛護運動っていうのは

人間のパワーの裏返しと言うか

人間が支配者になってはじめて出てくるような思想と言えるんですね

だから例えば人間に生来の天敵がいて

それとなんとか均衡を保って共生しています、と

そういう状況においては動物愛護なんていう考えは起きるはずがない

そういう意味で動物愛護っていうのは、人間の支配力の裏返しというか

支配者のロジックなんですね

さらに言うと、各時代ごとに

後から振り返って見てみれば

実はあれすごいクレイジーなことしていたよね、っていう

そういうことがたびたび出てくる

動物裁判もちろんそうなんだけど

動物裁判以前の

ローマ的な宗教観を持っている人達の間で行われていた習慣も

なかなか刺激的なものが多くて

さっき言ったバチが当たる(当てる?)に近い感覚ですよね

自然から何かをもらってるんだけれども

そのお返しをしていないやつがもし村で見つかったとすると

その人間の体のパーツをもって

その人間が害した自然に対してお返しをするって

そういう復讐法みたいなことが行われていたんですね

具体的に言うと

例えば若木の先端をちょん切っちゃった人間がいたとすると

そいつの首をちょん切って若木の先端に差しておく

そういうクレイジーなことも行われていたのだが

そういう風に考えると

後々から見るとすごいクレイジーな行いに見える
ってことがいう事が多々あって

もしかしたら1000年後の人間から我々を見ると

「動物愛護」って何だったの?っていうふうに

もしかしたらなるかもしれない

そういう視点も持っといた方がいいんじゃないかなと

3. まとめ

我が家の主犯格ネコ。動物裁判の廃れた世の中で、さまざまな罪を犯しながらのうのうと生きていく。

ということで

今回は動物裁判というテーマについてお話ししてきました

皆さんいかがでしたでしょうが

この今回のテーマは特に分かりやすかったと思うんですけれども

世界観が社会に及ぼす影響

そしてその社会の中の考え方が
人々の行動に及ぼす影響ってのは

非常に顕著に表れてきたんじゃないかなと思います

だからそういう意味で科学革命もそうですけども

科学の基礎研究っていうのは
こういうところで重要なのかもしれませんね

根本的な非常にマクロなレベルでの

世界観を変えていくような原動力になる

そういうものが「学問のための学問」

科学や人文学なのかなと思います

もう一つはあれですね

ビーフジャーキーを食べ尽くしてしまったうちの犬と

そのビーフジャーキーを床に引きずり下ろした子猫

彼らの罪は残念ながら三つの重罪のどれにも当てはまらいので

裁くことは出来ないと

良い教訓を得ることができたんじゃないかなと思います(笑)

ということで

今回はこのあたりにしておこうと思います

それでは皆さん次回もお楽しみに

  • 池上俊一 (1990)「動物裁判」
  • Evans, E.P. (2013) “Animal Trial”
この記事を気に入りましたか?あなたのSNSでシェアしましょう
Share on facebook
Facebook
Share on twitter
Twitter
Share on tumblr
Tumblr
また、紫洲書院では常時新規のライターのご参加を募集中です。あらゆる専門分野からの発信者をお待ちしております。ご興味をお持ちの方は、こちらよりご連絡ください。

この記事の投稿者情報

竹本 智志
竹本 智志

専門分野:犯罪科学(警察学)・近代思想・歴史
ロンドン大学UCL卒(BSc, 保安・犯罪科学)
紫洲書院の出版部を担当し、運営実務を行う。

この投稿者にコーヒーをご馳走してあげますか?(活動応援ページへ